あみダス~寺子屋用語の基礎知識~

オトナになってから、一度は真剣に向き合ってみてほしい、からだのこと。
病気のことじゃなくて、理屈じゃなくて、わたしのことを愛でてあげたくなる、そんなお勉強。
からだ寺子屋では、こんな用語をふんだんに発揮した例え話を織り交ぜたからだのハナシを繰り広げています。

 
アンパンマン方式
(あんぱんまん-ほうしき)
自分専属のジャムおじさんなんていないと分かっているにも関わらず、『奉仕ではなく自己犠牲で』世のため人のためと動いて自分をすり減らしてしまうこと。
別項の『のに星人』が現れたときには、大抵このアンパンマン方式を採用していることが多い。
繰り返すようだが『わたし専属のジャムおじさんは、いない』。
 
エコモード
(えこ-もーど)
痩せない、疲れやすい、食が細くなった、物覚えが悪くなった…老化?加齢?歳を取るとなんだか…何をおっしゃいますやら。
細胞さんたちは『究極のオリジナルエコモード』に入っただけ。エコモードのからだに昔と同じガソリンを満タンにしなくたって大丈夫。
今必要なだけのオリジナルハイオクを注いでいる方がよっぽど燃費も良い。
 
おぎゃあとぽっくり
(おぎゃあ-と-ぽっくり)
人生において、多かれ少なかれ、早かれ遅かれ、結構なかなかな頻度(自己申告)で『ヘビーなこと(個人基準)』が起きる。
死んでしまおうなんて悩んだりしたり、花もコスモスたちも枯れてお終いと、憂いでみたりする。
だがしかし、人生において『おぎゃあ(今生のはじまり)』と『ぽっくり(今生のおわり)』以上の大イベントは早々訪れるものではない。 つまりこの人生、案外イケている。
 
お便り
(おたより)
大きいお便りと小さいお便りがある。
大きいお便りは主に消化器系の各担当から、小さいお便りは主に泌尿器系の各担当から、 ほとんどの場合は日に何通か届けられるもの。
ここ数日の体内について、また、ここ最近のボスの判断(飲食、睡眠、ストレス、他)について 匂い、色、濁りや形、量、頻度を巧みに調整して送られてくる。
お便りなので、基本的に既読スルーは厳禁。
 
重い槍
(おもい-やり)
よかれと思ってやっている。思いやりのある人ねなんてよく言われたりする。
自分のことよりあなたのことを思ってる。重い…時に重い…。
『のに星人』とセットになってる思いやりは、だいたい【重い槍】の方である。まずは自分に思いやり、が基本。
 
家庭内別居
(かていない-べっきょ)
こころとからだがアンバランスなこと。 からだの声を聴かない、こころの声を聴かない。 あたまの判断、つまりは過去の経験や他人の評価などを元に作られる何かだけ、を基準に生き続ける。
こんなことを繰り返して、ギクシャクしながら懸命にもがいているうちは、喧嘩するほどほにゃらら、な状態。 稀に三下り半を突きつけられて、そっぽ向かれることがある。それはプロに名付けてもらうと『病名』という大層なことになる。
家庭内別居のうちに、お互いの言い分を聴き合える、お互いにディスカッションできるゆとりを取り戻すと円満である。
 
からだ寺子屋
(からだ-てらこや)
『こころとからだはまるっとひとつ』であること、『わたしってすごいじゃん!』ってことにいつの間にか気づいてしまう場所。
解剖生理の話をしてるはずなのに、ちっとも勉強らしいことをさせてくれない。 大体が朝の雑談から始まって、夕方の雑談で終わる。 スクールや講座とは恐れ多くて言えない、わたしを生きるためのヒントを得るところ。
 
ギヴアンドテイク問題
(ぎゔあんどていく-もんだい)
「わたしはあなたにこれをプレゼント」 「あなたはわたしにこれをくれたのね」 「ありがとう」 だけでは済まされない、由々しき問題。
気づかぬうちに 「わたしはあなたにこれだけプレゼントしてあげた」 「あなたはわたしに何をプレゼントしてくれるの?」 「で?ねぇ?で?」 という誤変換が起きていることが多い。
例え、キリンが逆立ちしたピアスを貰ったって、何を差し置いても「ありがとう」以外ない、のだ。
 
強制終了
(きょうせい-しゅうりょう)
電車の中、ソファの上、気付いたら本やスマホを握ったまま寝落ちてる。『やだ、わたし頑張りすぎてる♡』ではない。
電源長押しで強制終了させられているだけ。『あの、視覚使うのやめていただけます?他に修復しないと、休めないといけないところがありまして…そちらにパワーを…』という依頼のもと行われる強制終了。
だから通常の睡眠とはワケが違う。『そんなのは寝たうちに入ってませんよ!』が、からだの本音である。
 
グッドデザイン賞
(ぐっどでざいん-しょう)
わたしに、そしてあなたに捧げられる賞。
左肺がやや小さいことも、右腎がやや下にスタンバイしていることも、11、12番目の肋骨が浮遊していることも、耳たぶがあることも、鼻の穴が二つなのも、洋服を着ている動物なのに毛が生えているのも わたしたちの全てに意味がある。
そして本来はムリもムダもムラも至極少ない。 これをグッドデザイン賞といわずして、なにを褒め称えるのか。
と、きっと虫垂も実感しているに違いない。
 
コールアンドレスポンス
(こーる-あんど-れすぽんす)
まずは大人気アーティストの気持ちになってみよう。
「みんなー元気ー?!」「」・・・やる気がでるだろうか、どうしたらいいか判断できるだろうか。
観客(各臓器やココロ)の反応や様子を見て、アーティスト(頭)はどうするかを考えたいところ。
アーティストのひとりよがりなライブを繰り返していると、みんながハッピーなコールアンドレスポンスは生まれない。ブーイングの嵐が来る前に、大切にしたい相手の声をちゃんと聴こう。
 
ジブン保険
(じぶん-ほけん)
期待の高波と、現実のさざ波が作り出す人生のビッグウェーブ。 その波にのまれぬよう、(ホントは分かってる自分の実力以上の)期待に応えられなかったときのために、今の自分が未来の自分にかける保険のこと。
だって…保険 でも…保険 どうしたらいいか…保険 わかってるんですけど…保険 などがある。
この保険を解約するには、 今の波の中でジタバタしないで漂流もしないで「今この波」を感じられることが必須。
誰にだってまったく波がない人生、は存在しないのだから。
 
シャンパンタワー
(しゃんぱん-たわー)
まずは、自分がみちみちに満たされること。 そして溢れた愛が、周りの大切な人に繋がり、その人も自分で自分をさらにみちみちに満たし… という愛の連鎖のこと。
誰かがシャンパンボトルを持って走り回っても 相手が飲み干して自分で注ごうとしない場合、自分にも他の人にも注ぐことができない。 自分の喉がカラカラになるだけならまだしも、 ひたすら注いだ割に「もういらない」など、あっさりと無下なことを言われたりする。つまり「まずは自分」。
「自分だけ」ではなく「まずは自分」。ちなみにからだ寺子屋でもシャンパンタワーを作っている。
関連あみダス:のに星人、アンパンマン方式
 
主演舞台
(しゅえん-ぶたい)
『病気のことじゃなくて、からだ(わたし)のことを知ってほしい。』というのが60兆個の細胞みんなからの望み。
イヤだなと思うあの人も、突然現れた病気も、あれもこれも、わたしという主演舞台の中で必要な脇役さん。人生は独演会でもなければ、観客が全くいない舞台でもない。
もしもうその脇役が幅を利かせてきたら、脚本を書き換えてそっと出番を終わらせてしまおう。自分の人生は、自分の主演舞台。
 
接続詞マジック
(せつぞくし-まじっく)「そんなつもりじゃないのに・・・」と、言ってから後悔してしまうような言葉たち。その多くは「~のに」「~れば」「~たら」などの接続詞によって、本当の想いが隠されてしまっていることがほとんどである。
しかもそのマジックが華麗すぎて、マジックだったことに気づいていないことが厄介。余計な接続詞を少し減らして「私の気持ち」と「私の希望」を分けて伝えると、相手も自分もスッキリするものである。
 
第二の思春期
(だいに-の-ししゅんき)
更年期とか言われているもの。
第二次性徴の時には「春を想っちゃうとき」なんてウェルカムしていたのに、さんざん頑張らせるだけ頑張らせておいて、終わりの時を毛嫌うのは何とも切ない。
「あの時の春を思い出して過ごすとき」でいいじゃないか。二回目の思春期でいいじゃないか。
 
徹夜仕事
(てつや-しごと)
徹夜レベルで仕事を頑張っている人がよく起こす現象。
あなたが夜遅くまで仕事をして、その労いに遅い夕食や夜食を食べるということは、主に消化器チームに「じゃ、あとはよろしく。あ、朝ごはんまでにね」と当日依頼の徹夜仕事をさせているようなものである。
労っているんだか、いじめているんだか、何とも言い難い行動のひとつ。
 
内臓憑依
(ないぞう-ひょうい)
あみ先生にたびたび起きる現象。
からだの声を代弁しているというよりは、その人の内臓に言わされているとしか思えない憑依っぷり。どうやらいろいろな人のからだから仲間だと思われて、いいように使われているらしい。
 
のに星人
(のに-せいじん)
誰のこころにも住んでいる、かわいい星人。 想像を超える内弁慶のため「ご主人、かわいそう!」などと思ったときには、 怒りや嫌味のビームを駆使して、その対象(お相手、物、事)を徹底的に攻撃する。
対象からしてみると、結構理不尽。 基本は内弁慶なので、ご主人が満たされていると「いなくなったのか??」と思うほど静かに過ごしている。 ビームを発射するときの合図は、ご主人の『~のに』という言葉。
 
比較と優劣
(ひかく-と-ゆうれつ)
どう頑張っても、どう転んでも、どう考えても、自分と同じ人はいないし、憧れのあの人になることもできない。というか、なる必要がない。
だからお互いを知るための比較は大いに結構。「あの人はここが素敵。私はここが素敵。」だけ。
そこに優劣をつけて「あの人は私にできないこんなことができるから素敵」にするからややこしいことになる。あなたも、わたしも、素敵なのである。
 
「も」
(も)
こころもからだも、オトナもコドモも、男子も女子も、老いも若きも、仕事もプライベートも、あれもこれも。
欲張りではなく頑なでもなく、すべて在って、すべて大切。「も」に変えると世界が変わる。
 
放牧スタイル
(ほうぼく-すたいる)
ご縁のはなし。
縁をばっさり切る、ずっと繋ぎとめておく。そんな、こっちの都合ばっかりで自分の人間関係のフィールドに他人を巻き込んではいけない。
近くに居たければいるだろうし、視界に入りたくなければ離れるだろうし、囲い込んだり追い出したりリードなんてつけたりせずにお互いに放牧スタイルではどうなのだろうか。
きっとまた必要な時にはペーターが連れてきてくれるはずなのだから。
 
ぼさってぃーの
(ぼさってぃーの)
「すでに素晴らしい命のかたまりであるみなさんが、今この一瞬で輝いて、その輝きの連続で命が続いていくように。」という想いで、からだ寺子屋がお伝えしていること。
あまり堅苦しく考えず、囲いを作ったり、決めつけたりせず、『心地いいものは心地いいと素直に観じること』を最優先にできるこころとからだを取り戻していく、そんな感覚を表すキャッチフレーズのようなもの。 
 
ムツゴロウタイム
(むつごろう-たいむ)
からだ寺子屋で推奨しているひとり時間の過ごし方。
誰も聞いてないから好き放題、好きなこと好きなだけ叫ぶことができる、カラオケルームにだってできるサンクチュアリ(お風呂)にて、 『疲れようとした』のではなく『頑張った』からだを愛でること。自分のご主人は自分。
誰よりも全力で本気で褒めて感謝できる人がここにいるならば、やらない手はない。
 
ゆかいなからだマニア
(ゆかいな-からだ-まにあ)
からだ寺子屋はじめ、からだのことを学んだみんなに送られる称号。
資格があるわけでも、それを活かして専門家になるわけでもない。自分と必要としてくれている誰かのために、それぞれの居場所と役割で、わたしたちのからだの素晴らしさのエッセンスを振りまいてくれるみなさん。
その生き方そのもので、素晴らしさを体現してくれるみなさんのこと。
 
わたし学
(わたし-がく)
解剖生理学をはじめ、からだ寺子屋で聴くことができる学びのこと。
未知の話でも自分とは関係のない話でもなく、生きるための知恵を学び、自分自身のことに気づき、行動が変わっていく、周囲との関係も変わっていく。
まさに「わたし学」であり「あなた学」であり「みんな学」である。

この記事を書いた人

あ み(asai mie)
あ み(asai mie)
からだのことをお話したり、こころの声をお届けしたり、がんばる女子が精神的にも肉体的にも社会的にも健やかで在ることを全身全霊で応援しているパラレルワーカー。